ご自身でも株式会社hasso. 経営されている平岡直也さん。
もともと放送局で働いていた経歴から独立の理由までU.K.さんがインタビューしてくださいました。
「イマスグキャスター」 U.K.(楠 雄二朗):
平岡さんとお話をしていて同世代として非常にお話ししやすい。
人の懐に入るプロですね。
今は何をされているんですか?元々報道部にいらっしゃって、今は?
「イマスグプロデューサー」平岡 直也:
東京の営業部で、2年過ごしました。それは人事希望をしていたわけではなくて、青天の霹靂でした。人生で初めての営業で、東京も初めてで、、、初めて企業さんにCMを出してくださいという仕事したんです。毎日、緊張してました。でも、会った企業の人たちは、仕事への情熱があって、何とか日本を良くしたいという考えの方が多かったんです。
そういう方たちとお仕事をしていると、自分も「その輪に入りたい」と思いまして、テレビ大阪を辞めました。それで、企業PRや大学のPRなど、何かを立ち上げる際に、チームに入って一緒にそのチームを大きくするという活動を独立してからは中心にしています。
「イマスグキャスター」 U.K.(楠 雄二朗):
これからはわかりませんが、テレビ局の給料って良いって聞きますけど、テレビ局の給料をよく捨てて独立をできましたね。
「イマスグプロデューサー」平岡 直也:
給料はいいですね。でも、氷川きよしさんは40代で、すごくイメージチェンジされましたよね。
その時に「自分がやりたいようにできる最後の10年間だと思う」とおっしゃってました。
それで、「40代は何かを大きく変えていける」、「人生で何かチャレンジするのに40歳はいいきっかけになる」と思いました。
私の場合、営業ですが、何か予期せぬことがきたことをきっかけ、シグナルだなと思ったんです。お金というよりも、新しいことをできる喜びですよね。失うものもありますけど、得るものもあるだろうという発想で、独立しました。
「イマスグキャスター」 U.K.(楠 雄二朗):
素晴らしい!感動!
イマスグメディアのリーダーである親方が僕に言ったんですよ。
「47歳やろ?みんな気づいてないけど、第一線で走り続けられるの、もうわずかやで。今やらずにいつやるの。」とね。
それで僕の意識はパンとはじけたんですよ。何かきっかけがあって、自分を変える。そこには犠牲があるかもしれない。なりふり構わずいったら、意外といけるでしょ。僕はタレント業と副業もしています。どちらかが減って、どちらかが上がったら、一緒なんですよ。そういうものかな、人生は。
大事なことは気持ち。
それと周りの目を気にしないこと。
「イマスグプロデューサー」平岡 直也:
周りの目を気にしだすと、自分のやりたいことができなくなりますよね。
「イマスグキャスター」 U.K.(楠 雄二朗):
そこに甘えてた部分はありました。だから、末っ子でいましたし。47歳でそんなこと言ってられないですよね。
今は生き生きとハッピーです。頂点はあったとしてもそこに固執しなくていいんです。自分らしくいていい時代になっているんですよ。